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【翻訳記事】低スキル、低賃金 海外で苦しむ労働者

2022年9月15日|午後5時13分(PT)

ルオン・スアン・ホイさんが2018年に初めて日本に行ったとき、主に最も安く手に入るサーモンの頭とご飯を1年間食べていた。

 

ホイさんは、ベトナムで家を建てるためにかかった借金約115万円を返済するためにお金を節約しなければならなかった。

 

日本の工場で働くベトナム人技能実習生。(写真:VnExpress/タイ・デ)

 

34歳の彼は、仕事を探すために4年前に中部タインホア省を出た。初めの2年間は月額約9万円の収入があり、それはベトナムの同年代と比べてもはるかに高い。給料の5分の1を生活費に使い、残りを妻と子どもたちに送って借金を返済した。日本に行くために人材仲介業者に借りたお金は、今では2倍になった。

 

ホイさんは「日本人は、鮭の身を刺身にして頭は捨てますが、私はよくキャベツと一緒に調理して食べていました」と語った。

 

彼が旅行や娯楽のためにお金を使うことはない。

 

「日本での収入はベトナムよりも高いですが、生活費も高いです。」

 

「私たち労働者は、家族に送金するために贅沢なく倹約した生活を送る必要がある」と彼はいう。

 

ホイさんは、過去40年間で海外に出稼ぎに行った数百万人ものベトナム人の一人であり、そのほとんどが付加価値が少ない単純労働作業で最小限の収入を得ている。

 

ヴー・チー・チュオットさん(47)は5月、家政婦として働くために、台湾の最低賃金である約7万4千円で契約をした。

 

台湾政府は8月、最低賃金を約8万6千円に引き上げたが、彼女はすでに契約書にサインをしているため今後3年間は給与が上がらない。

 

「多くの家庭が家政婦に毎月14万ほど払っており、これは私の給与のほぼ2倍です。私と一緒にきた4人のベトナム人のうち、3人は仕事を辞め、より高い賃金を得るために不法に他の仕事をしています。」

 

ベトナム人労働者と台湾企業を繋ぐ仲介業者のトップによると、多くの人が台湾の地元の人がやりたがらない、家族や高齢者の世話をするような基礎的な作業をして最小限の給与を得ているという。

 

日本で3年働いたのち、2020年にベトナムに帰国したファム・ビエット・アインさんは、多くのベトナム人が、表面上は帰国後に活かすことができる技能を習得するために海外に行くが、本来はそうではないという。

 

労働者は通常、建設機械の操作や在庫確認の業務を任されているが、それらは高いスキルを必要としないため、最低限の給与しか得られないと彼は語った。

 

ベトナムコンサルティング会社エコノミカの代表代表取締役レー・ズイ・ビンさんは、今後10年から15年後は、ベトナムは徐々に若くて安い労働力の利点を失い、人口の高齢化が労働力不足を引き起こす可能性があると述べた。

 

これは、今後、ベトナムがさまざまな技術を習得する価値ある実習のために、より高いスキルを持つ労働者を送り出すべきであることを意味する、付け加えた。

 

40年、40市場

1980年11月に発行された決議によると、ベトナムは、国が計画経済から市場経済に転換していた1980年代に「[他国との]友好関係を通じて、国内経済に取り込まれていない多くの若者に職と訓練を提供することができることを政府は信じている」として、労働者を海外に送り出し始めた。

 

当時の主な労働市場は、ソ連東ドイツブルガリアチェコスロバキアの4か国であった。採用されて送り出される労働者のほとんどは、元軍人や公務員、工場員や高卒者だという。

 

1980年代、東ドイツの縫製工場で外国人マネージャーの横に座るベトナム人労働者。(アーカイブ写真)

 

1980年から1990年の間で、3万人の労働者が外国に送り出されたが、1990年代初頭のソ連崩壊により、4か国からのベトナム人労働者の需要が減少した。それにより、1990年から2000年にかけて政府は新しい労働市場を模索した。

 

日本や韓国、台湾などの一部のアジア市場は、人口の高齢化や地元の労働者が付加価値的な職に就くなど、整備士やハウスキーパー介護士の職が、ベトナムや他の東南アジア諸国からの労働者に頼る必要性が生まれた。

 

1992年、ベトナムは始めて日本と韓国に産業研修生や貨物船の船員として送り出した。

 

ベトナム人労働者にとって北東アジアが主要な市場になって以来、1991年の1000人から2000年の3万1000人に急増した。

 

2000年以降、労働力の輸出はベトナム経済にとってますます重要な役割を果たしており、2005年には8万人が18の国と地域に送り出された。

 

主に電気や電子、縫製や機械、木材加工など、ベトナム人労働者の働き口としてマレーシアは一番の労働市場であった。

 

2007年にマレーシアでジュエリーを作るベトナム人労働者。(写真:VnExpress/ホアン・カイン)

しかし、月額2万円から2万7千円ほどの低収入で、劣悪な労働環境は次第にマレーシアが魅力を失っていき、賃金の高い韓国や日本が労働者を取り込んでいった。

 

2015年までにわずか7,300人のベトナム人労働者がマレーシアにおり、2019年までに450人に急落した。

 

2012年から2019年の間で海外に出稼ぎに行った労働者の数は年間21%上昇したが、2020年から2021年だけは新型コロナの影響で減少した。

 

ベトナムは昨年に4万5000人を海外に送り出したが、世界経済が新型コロナから回復するにつれて、今年は2倍の数にしたい考えだ。

 

過去40年で、ベトナム労働市場は4から40の国と地域に、さらに30職種が増えた。

 

500を超える人材会社が、毎年10万人の労働者を海外に送り出しており、うち90%が台湾と日本である。

 

海外労働局のグェン・ギア・リエム副局長によると「海外で働く労働者の数は、ベトナムの労働力の7%〜9%を占めている。これにより、国内での雇用創出に対する圧力が緩和される」という。

 

1980年代に、労働者はアイロンや炊飯器などを家族に送ったが、今では年間約4,000億円から約5,400億円が毎年送金されている。また、ハイズオン省タインホア省ゲアン省では若者が主に海外に出稼ぎに行っていることから「労働輸出」の村と言われている。

 

 

海外で働くベトナム人労働者数



低スキル、低収入

専門家によると、日本や韓国に行っている労働者は、高い技術を必要としない仕事しかせず語学力も限られているが、月額約13万5000円から約24万円を稼いでいるという。

 

労働者を日本に送り出しているエスハイのグェン・スアン・ラン副社長は「長年にわたり、ベトナムの政策は貧困労働者の仕事を見つけることだけに焦点を絞っており、海外のテクノロジーやマネジメント能力に触れるようにすることに関心はありませんでした」と述べた。

 

スキルを備えた出稼ぎ経験者の割合を増やすことは、彼らがそこで学んだことを帰国後にベトナムに役立てることは必要で、また特定の分野を優先することも重要であるという。

 

帰国した多くの人は家を購入し、ビジネスを始めるが、ほとんどの人は海外にいる間にスキルが向上しないため仕事を見つけるのに苦労すると付け加えた。

 

当局は、労働者に契約満了後に帰国するよう説得することにも頭を悩ませており、ベトナムでも同じ高収入が得ることができないのではないかと恐れ、多くの人が海外で不法滞在することを選ぶという。

 

これは、重要な労働市場で反発を招いている。

 

台湾での例をとると、2005年にベトナム人の家政婦の受け入れを停止し、2015年に解禁されたばかりである。

 

韓国では、2013年から2016年の間でほとんどの業種でベトナムからの新規労働者の許可を停止したが、未だ数千人のベトナム人が不法に滞在している。

 

ハティン省労働傷病兵社会問題局のダン・ヴァン・ズン副局長によると、2022年から2030年にかけて、労働力の輸出問題を解決するためには完全な戦略が必要という。

 

その戦略がなければ、ベトナム人労働者は低スキルで立ち往生し、国の発展に影響を与える可能性があると彼は懸念した。

 

記事:レー・トゥエット、ホン・チエウ

【翻訳編集】Hải Tình

 

原文:

e.vnexpress.net